2010年8月31日火曜日

居場所がないし・・・・・・・・

認知症でもまだ初期の私は社会的保証が受けられなかった。
そして 会社や社会からは 取り残されていた。
結局 自己隔離 家で静かにしている以外 何もできなかった。

認知症でも初期の私は、見てくれも通常の会話も並である、(人の名前とか記憶の欠落が少しでるが)
まだ周りにはバレていない (バレても困るが) 役所の福祉の人と 主治医の人と 職安の一部のデータ に 記録 記憶はされているが

50歳手前の人間まして子供やカミさんのいる男が昼間近所をうろちょろもできないが無収入だし
家でいることが多くなる 気配もなるたけ殺し テレビやラジオの音も絞る 時にはインターネットのニュースも見ているが その時は見飽きるぐらい観るのだが カワイコチャンアイドルの名前も
有名政治家の名前も 覚えにくすぎるし 最近は漢字がよく出てこない 。

やなことが おおすぎるが 少しずつ 活動を 広げているのが ある

ボランティア 月 1っかい パソコン初心者の 補助 と

ある都市の作業所に週3日間 簡単な仕事をやらせてもらえるようになった。

お金になるには程遠いが脳みそがこのまま腐っていく速度が少しでも遅くなれば うちの母親の年金を食いつぶして生活してる気持ちの傷 (今現在はどう仕様も無い)痛み止めに近いのかも どっちにしても治療 治癒は 不可能なのは知っている 最近 アリセプトを 飲み忘れることもあり
自分も 数年で 訳が分かんなくなるのか と 思うのと 微々たる明かりが灯っているのか どっちか 
普通の人が感じない頭痛がある 


訳が分かんなる前だが認知症なんだから びょうにんとみとめてくれないかな それとも みとめられないぐらいだから 幸せなのか 死刑確定の 気持ちである
認知症は治らない これは 分かっているし 聞いているから